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ファンタジーランドにそびえ立つ恐怖の屋敷、ホーンテッドマンションの歴史は極めて数奇であり、恐怖に満ちたものであった。
すべての始まりは1671年10月31日。
アイワークスというオランダ人の市長が、町の長老から「神聖なインドの埋葬地を汚すな」という警告が来ていたのにもかかわらず、川を見下ろす丘に自らの屋敷を建てた。
建設中は、原因不明の事故に悩まされ死傷者が続出。労働者の確保に非常に悩まされ、最後にはアイワークス自身が建設に参加したほどであった。
結局屋敷は完成し、アイワークスは家族と共に、この屋敷に移り住んできた。
しかしアイワークスは、この屋敷に来てから突如気が狂い、自らを墓地に密閉して自殺してしまった。
その後、住む主を失った屋敷は数十年間に渡り、ホームレスの溜まり場や、兵舎として使われていたが、1871年、土地の有力者であるロナルド・スティーヴンズ大佐に屋敷の権利権が渡り(彼はトランプで権利を手に入れた)、ロナルドは屋敷に住むことを決意。荒廃した屋敷の修復工事を始めた。が、以前と同じく原因不明の事故が多発し、石工のフレッドが謎の落石事故で死亡した。
ロナルドは自ら石工の仕事を引継ぎながら、屋修復を終えた。
だが、事件が起きたのは1871年10月31日。
スティーヴンズ家がこの家に引っ越してきた直後、ロナルドは精神崩壊を起こし、墓石に自らの名前を刻むという狂気じみたことをやり始め、その日にボイラーの爆破で死亡。
彼の死体は自分が名前を刻んだ墓石に埋められた。
ロナルドの死後、スティーヴンズ家は「アメリカ交霊術協会」に屋敷を売り、協会は屋敷を交霊会場にした(交霊とは、霊を呼び出し対話をする儀式)。そして協会が1914年に解散されるまで、屋敷では900回以上の交霊が行われた。
解散にあたり協会は、ジョージグレイシー卿という金持ちに屋敷を売却。ジョージ・グレイシーは屋敷を冬の間過ごす別荘とした。
だがジョージグレイシーが殺された後、彼の未亡人はグレイシー家が所有していた土地を、屋敷(ホーンテッドマンション)を除きすべて手放した。そしてその屋敷を、ジョージの子であるマスター・グレイシーが受け継ぎ、悲劇は一気に加速するのだった・・・・・
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