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…陸抗は、捕らえた歩闡の顔を見る事なく、処断を言い渡した。
また、彼の一族も、洛陽に人質にいった者以外は、皆同じ運命にあった。
歩闡とその一族、反乱軍幹部に対しては冷静に対処した陸抗だったが、一方ではその配下の兵士達には寛大であり、都に上訴して罪を問わないように取り計らった。
この処置に対して、歩闡の兵士達は感激し、陸抗の兵士達はますます彼を尊敬することになっていった。
ここで陸抗が功を誇るようなら、都の皇帝・孫皓に睨まれるだろうが、彼にはそんな様子は無く、黙々と西陵の修復を済ませて、任地に戻っていった。
(味方同士が戦ったのだ。悲しむべきはあっても、わしが威張ることはないだろう)
陸抗はこのように考えて、この後に、西陵での戦いの話になる度に、相手に自分の意志を伝えたのであった。
これを聞いた誰もが陸抗を立派な人物だと思い、皇帝・孫皓さえも彼を信頼して、それは陸抗の死至るまで変わらなかったという…
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