恥辱のルブ・セタ

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   停車した護送馬車から小路をいくつか隔てた場所で、進退極まった状況の中、ブディカンは盾を構えたまま凍りついていた。  剣は折れ、甲冑は引き裂かれて、袋小路に追い込まれた哀れな男はゴブリンの背後で奇声をあげる部下たちに、涙に潤んだ視線を投げかける。寒さと恐怖に震える身体はいうことを聞かず、つぶやくような悲鳴は命乞いの呪文となってこぼれてゆく。  「死にたくない………死にたくない………助けて」  ブディカンの眼前に迫ったゴブリンの口から腐った卵のような異臭が漂い、鼻をつたった雨のしずくが強い鼻息とともに彼の顔面に飛び散る。大きく耳元まで裂けた口が今まさにブディカンの頭部に覆いかぶさったその時、ゴブリンの動きがピタリと止まった。  目を閉じることさえ出来なかったブディカンの視界から小鬼の舌がゆっくりと遠ざかり、死と絶望のカタマリが彼を解放してゆく。  絶体絶命という瞬間がブディカンの思考を完全に奪っていたので、ゴブリンが何に気を取られたのか彼は理解することができなかった。もし出来ていたら、墓穴を掘ってその場で死んでいたかもしれない………それは、恥辱と救済が同時に訪れた瞬間でもあったからだ。  「よもや犬笛が役に立つとは、思いませんでしたぞ!」  「領民の千恵だよ、わたしのバアサマの時代にはこれで家畜の被害を防いだそうだ」  「うははは、目に浮かびますなあ」  「笑うなバカ」  目を血走らせたゴブリンが振り返ると、大通りの中央で仁王立ちする女剣士と背後にひかえる数人の兵士を捉えることになった。  またか、とでも言いたげに鼻から水しぶきをほとばしらせるとゴブリンは一歩、二歩と歩きだし、新たな獲物であるハタリたちに猛然と突進してきた。  「散開!」  ハタリの号令がかかると全員がゴブリンと距離をとり、常に背後から攻撃できる隊形をとった。 .
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