2.浅井会長のニセ本尊作成疑惑について

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また、日応上人は、「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず」 (『弁惑観心抄』212ページ) 「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」 (『法の道』研教二七‐474ページ) と仰せられているのであります。   御形木御本尊を含めてすべての御本尊は、御当代御法主上人猊下が丑寅の刻みに御祈念されて、はじめてそこに本門戒壇の大御本尊からの血脈が流れ通うのであります。   また、浅井会長は導師御本尊の存在を故意に隠しておりました。 かつて浅井会長は昭和60年2月23日の「本部会議」において次のように発言しています。   「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」 (『顕正新聞昭和61年3月15日号』)   すなわち、「常住御本尊七体と、日寛上人の御形木御本尊多数」と発言していたのです。
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