第七夜・肩合わせ

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この紳士服屋に勤めてから、はや二年になる。 俺は一年目に主任に昇格して、立場的には先輩と肩を並べていた。 その先輩は、他店に転勤になり、置き土産にこの店にいるという(あれ)の話を残して行った。 「あ~そうだE。この店な、夜一人で肩合わせしてると出るぞ……」 「出るっていうと、この前吊り橋で見たようなあれですか?」 「そんなんじゃないけどさ、夜一人で作業してると、肩合わせする音がするんだよ」 肩合わせとは、太いハンガーに掛けて、何百と吊してある既製品の背広を綺麗に並べ直す事である。 お客様が商品を見たり触ったりする事によって、ズラリと整頓されている商品の列は次第にズレていくものだ。 それをハンガーを持って、背広を整頓し、時にはブラシを掛けて、ビシッと綺麗に並べなおすのだ。 その時、カチャカチャと肩合わせ独特の音がする。 肩合わせが上手になると、テンポよくカチャカチャ音が進むが、まだ未熟な人がやるとテンポがまちまちで下手くそな楽器の演奏を聞いているような気持ちになる。 もちろん、俺の演奏はなかなかのもので、カチャカチャ音は綺麗な音符を並べる。 俺達の給料は、会社から貰ってる訳じゃない。 お客様が、俺達の生活を支えてくれるのだ。 だから、お客様の前でする仕事にしても、テキパキとテンポ良くしなきゃならないっていうのが、俺の心情だった。 その日は閉店後、棚卸しの作業が待っていた。 店内には背広や礼服、カジュアルな普段着、ネクタイに小物、靴下やらワイシャツ、ベルトなど、何万という商品があり、その数を種類別に数えて計算し、合わせるという面倒な作業である。 少し髪の毛が寂しくなって来た店長が、カウンターに置いたパソコンの前でゲームをしている間、俺は次々に棚卸しを進めて行った。 店長はとてもいい人だ。 もちろん個人的には、である。 部下が真剣に働いているときに、パソコンのゲームをやってちゃダメダメだろ? 店長は『チビ』『デブ』『ハゲ』と三拍子揃った素晴らしい外見の持ち主である。 顔の造りはそれなりで、決してブ男には見えない。 ただ、髪の毛に関しては、そろそろ潔さを発揮して、短髪にした方がいい、というのが本人の知らない場所で交わされる意見の大半を占めている。
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