100万キロは遠すぎる

5/12
前へ
/12ページ
次へ
   ふと隣に目をやると、若い女性客三人が三人供私たちのほうを好奇の目で見ている。その表情には軽く嘲笑めいたものが見え、私は眉をひそめた。  無論、私と目が合うと慌てて視線を外し、白々しくも井戸端会議を再開する。  見知らぬ男女の別れとは、見ている側からすれば少し面白いのかもしれない。見られていてもなんら不思議はないのだが、今はとても悔しい。  私はギュッと拳を握り込んだ。    この店に癒されに来た人にはやはり申し訳ないが、少し私もヒートアップさせてもらう。   「去年の夏に私たちが泊まったホテルの名前を覚えてる?」  突然何を言い出すんだ、とでも言うような目線を向ける彼。 「あ、あぁ覚えてる」 「本当に?」  彼は少しムッとしたような表情を浮かべた。   「ホテル山月。2052年8月2日だ」  栃木県の山奥にある有名なホテルだった。  彼と出会って一ヶ月。友達には早いと言われたが、二人でお泊まりに行った。  まだまだ彼も私も若いといったところか。   「ベランダのすぐ下には大きな川が流れていて」  そこで彼と、借りた釣竿で鮎釣りをした。   「山菜の御膳が美味かったなぁ」    色とりどりの山の幸が食卓を彩り、私も彼もご満悦だった。   「忘れるわけないじゃないか」    営業マン風の男がチラチラとこちらを見ているが気にしない。   「じゃあ私たちが出会った日のことは?」  今度は間髪入れずに口を開いた。 「あれは7月3日の夜」  日にちまでは私も覚えていないが、多分間違いないだろう。   「君はなんだかフラフラしていた」    女友達の家で晩酌に付き合って、の帰り道だった。木々が立ち並ぶ公園を横切るのが自宅への近道だ。  その公園が私たちが初めて出会った場所。  虫の音を聴きながら私は早足で歩いていた。初夏の風が心地よかった。  
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加