葡萄酒

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葡萄酒

その人はまさに美の化身で、たなびく髪の毛だの、この世の物とは思えなかった… 素晴らしい、神の芸術品だとすら思った。 そんな彼は自分の名前を知識として知っており、挨拶をすると気のいい笑みとともに返事を返してくれた。 「今晩和、ドロイテン公。」 「…今晩和、モンテーニュ伯。」 ドロイテン…すなわち彼。 彼はフランス語がよく似合った… フランスは語感が美しい。 私は私なりに必死でその美しさに負けじと、丁寧に且つ上品に振る舞った。     しかし…     「あなたの私を見る目は非常に好色だね。 もしや、あなたは私を好いている?」   ドロイテンが言う。 美しい唇がそう私に向かって呟いた。   我慢の限界…というには私は耐えるということをしなさすぎた。 が、しかし、その美しさの前では多分、およそ一切の抗いは無駄だったのであるから、仕方がない。   「…あなたを見て慕わない方などおりませんよ。」   少し考えるドロイテン。 彼の唇を突いて次に出た言葉、以下。 「私は綺麗?」 私は直接的な返事は洒落ていないとおもい、敢えてずれた答えを返した。 「一晩、いかがですか。」 するとドロイテンは見るも耐えない悲しげな顔になってもう一度… 「私は綺麗?」 と聞いた。 その儚げな面立ちが私の理性を壊したのだ。 私はドロイテンを外套に包み、馬車まで走った。     馬車にドロイテンを押し込み自分も乗り込み、扉を閉める。 「す、す、好きです… 狂おしい限りです。」  まだ繰り返すドロイテン。   「ねえ…、答えてよ! 私は綺麗?」 「綺麗です、世界一、綺麗です。」 「嬉しい…」   なんて単純なんだろうと思った。 そのアンニュイな眼差しが笑顔に変わったその瞬間、私のドロイテンに対する執着心は消えた。   しかしハイカーラーから覗く白い首筋を見たら、少しご馳走になりたくなった。   ゆっくりと捕まえ、白い喉元に舌を這わせる…。 注射の前の消毒のように、やさしく…やさしく…   そして、犬歯を突き刺した。   ドロイテンは驚愕してうめくと、その後の血が抜かれる心地よさに恍惚として、私の背を抱くと、一言静かに言った。     「私はさぞかし美味だろうね。」 「それは、もう。 そうですね…例えれば、どんな葡萄酒よりも。」
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