230人が本棚に入れています
本棚に追加
「怯むなぁ! 押し返せ! 勝利は目前ぞ!」
雄叫びの如き怒号を上げるのは、濃紺の外套を身に纏った男。その頭には既に白髪が混じりだしており、彼の年齢と苦労が推し量れた。
彼の眼前には自身と同じ濃紺の外套が数十、群れをなしており、各々の背中には銀の紋章が刻まれている。
濃紺の波の向こうには、甲冑の大地があった。それは数えずとも判断出来るほど、紺色の背を上回る。
甲冑には着色が施されており、それは赤と黄。すなわち、紺色の軍とは対極となる、敵。
彼らは手に手に剣を携えており、激烈な打ち込み斬り合いを前線で繰り返し、今にも指示を出す彼の元へ辿り着きかねない勢い。
紺の軍は、圧倒的に押されていた。
「ぬうぅ……。このままでは……」
自軍の兵士らを鼓舞せんと、先程は有利との声を上げた。だが、戦況の不利加減は誰にも一目瞭然。
「サー・ナイト! 魔擲隊の準備が整いました!」
「よし、放て! 標的は最前線だ!」
彼は即応し指示を出したが、それを受けた伝令兵は眉根を寄せた。
「は……! しかし、最前線に放てば味方をも巻き込む恐れが……」
「構わん! 多少の犠牲よりも進軍を食い止めることの方が優先だ!」
伝令兵の進言を全否定し、彼は自身の出した指示を遵守させようと、威厳を振り翳すかのように杖を掲げた。
その杖が、何かにぶつかり乾いた音を立てる。
「おっと、失礼」
音と声に、ナイトと呼ばれた男と伝令兵とが即座に振り返る。そこには、先刻崖の上にいた彼が。
二人と同じ濃紺の、しかし彼らの羽織る物とは若干デザインが異なる外套の男。
「何者だ!? どうやってここに……!」
ナイトは杖の先端を彼に突き付ける。だが彼はさして気にする様子もなく、切っ先と男の顔とをゆっくり見遣るだけ。
少しばかり俯き加減に、陽を反射して瞳の見えない眼鏡の奥から。それから、おもむろに口を開いた。
「いえ、旅の途中でしてね。……戦をなされているようですね?」
物腰も口調もひどく柔らかな彼。そこからは戦場での殺伐とした空気は微塵も感じられない。ただ単に、喧嘩に出くわした、それだけの事のようにすら。
「答えは見て察して頂けるかな? おい、彼を裏から街道に向かうルートにご案内しろ」
返答を聞き、ナイトは杖を下げた。次いで発した声は、口調とは裏腹に棘と緊迫感とを多分に孕む。
最初のコメントを投稿しよう!