キスカ島撤退作戦

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昭和18年7月29日、アリューシャン列島にあるキスカ島にて行われた撤退作戦✋キスカ島を包囲していた連合軍から全く気付かれず、日本軍が第2回目の作戦にて無傷で守備隊の兵隊の撤収に成功させ「奇跡の作戦」と呼ばれる‼ キスカ島を支配下においていた日本軍〓 しかし、アメリカからすればここに日本軍の拠点があることは本土への脅威となっていた📝 日本軍はキスカ島には少々の兵力しか配置しておらず、アメリカの爆撃などに合い、兵力の増量をはかるも、アメリカの阻止攻撃に合い、上手くいかなかった…昭和18年5月12日、アメリカ軍はキスカ島の近くにあるアッツ島に上陸‼アメリカ兵11,000人に対し、日本軍は2,650人💦4分の1以下の兵力で17日間の抵抗も虚しく、玉砕し、キスカ島は孤立した… そして第1回目の撤退作戦が考案されるも海軍は消極的だった🌊それはソロモン戦にてかなりの兵力を失っているためである。もし、最前線であるキスカで撤退作戦を行うとかなりの損耗が予想されるためである😱(ソロモン戦にて戦死80,000、艦船50隻、航空機1500機の損害) そして、潜水艦による作戦一回目が開始され、負傷者800名護送、弾薬や食糧の輸送が成功するも、潜水艦2隻を失う💥潜水艦での撤退作戦は打ち切られ、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた✋この作戦は霧が出たその時にキスカ島に突入し撤退作戦を開始するものであった➰ そのため、気象通報に従事する潜水艦部隊を先に送り、1週間後である7月7日、水上部隊が出撃…10日、アムチトカ島500海里圏外にて集結した撤収部隊は一路、キスカ島に向かった‼ 12日、キスカ島付近に近付くも、発生していた霧が晴れてしまい、作戦中止、13、14、15も作戦を開始するも全て霧が晴れてしまった…そしてここに来て、燃料の残量も少なくなり、作戦を指揮していた木村昌福少将(きむらまさとみ)は 出港してきた幌莚(ほろむしろ)に帰投を命じた💨 「帰れば、また来られるからな」と言い残した命令といわれている😃 しかし、手ぶらで帰投した木村少将には艦隊の指令部、連合艦隊の指令部、大本営から強烈な批判を受けた… (8月になれば霧が晴れ始めて、アメリカの上陸作戦が行われる可能性がある、この地域に貯蓄してある重油がなくなり始めており、後一回しか作戦が行えないという焦りから)
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