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うんざりするほど続く緑には流石に騒ぐことはなくなったが、まだ色とりどりの花や実は駄目らしい。先ほどの重苦しい空気は一体どこに霧散したのか。いつもこうしてひらりひらりとかわされてしまう。
だがあんなにも神がかったものを見せられた後では、そう簡単に引き下がる訳にはいかない。
弥彦の大きな手が千羽夜の両肩を掴んだ。千羽夜は簡単に動きを封じられる。
「なんだ?」
迷惑そうに白い顔を歪められるが、気にする余裕はない。
「遠野の巫女とは一体何なんだ?俺にはお前が人でないのではなく、人であることを諦めているように見えた」
憑かれることに疲弊し、年相応の感情を封じているような……昨日の光景からは恐怖よりも畏怖よりも、弥彦は何より悲哀を感じたのだ。
逃れられない事実に、一瞬瞳が陰ったのを見てしまったから。
「……お前は遠野の巫女が必要で、私は遠野の巫女だ。昨日のアレは証となったであろ。それでは駄目なのか?」
千羽夜は息をつく。この巫特有の口調も、昨夜のアレから学んだものだろうか。
「俺は遠野で巫女を必要としている民人からお前を奪った。己の為だけに。
お前の言う通り、俺は罪悪感から楽になりたいのかも知れない。だから近くに在るお前だけには、その心情を聞いておきたい」
千羽夜より数段高い位置にある男の顔は、いつもの調子良い若者のそれとは違っていた。こうして千羽夜に詰め寄るのも、己の為だと言う。
(こんなにも馬鹿正直な男が栖牙にはまだおるのか)
千羽夜は己の肩を掴む温かい物に、指を乗せる。ハッとしたように手をどける弥彦に笑んだ。
遠野では千羽夜に触れる者など一人もいなかった。
……千羽夜は何も知らなかった。
土の感触や月明かりや木陰の涼しさや歩くことの楽しさ、苦痛に至るまで。
「これもまた、定められた縁(エニシ)やも知れぬな」
「えにし……?」
弥彦は首を傾げる。頬を掻いては視線を泳がせるが、どうやらわからないようだ。
千羽夜は笑った。自分がこんなに笑うことが出来ることも知らなかった。
「世の理は全て天に定められているという。巫女から民人に至るまで、その者の生きる道は決められているのだ。
故に私はおぬしに浚われる定めであり、おぬしは私を浚う定めだったと言えよう。抵抗したところでそれは抗えぬ」
だからあの形式だけの無意味な抵抗をしたのだろうか。
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