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祝言を一月の後に控えたある月のない夜のことでした。わが城は、西軍方の国に突如、攻め込まれたのです。北の方には大きな領土を持つ国がありました上に、わが城は東西を川にかこまれ、南には山がそびえておりましたからな、北を攻めるには丁度よい拠点と思われたのでしょう。
戦乱の世にありながら、一度も戦に巻き込まれたことのないわが国三千の兵と、百戦錬磨の相手方一万では、どうあっても勝てるはずがありませぬ。攻め込まれてから一刻がすぎようかという頃には、大勢は決まっておりました。加矢様にお頼みした援軍も、間に合わずに兵の頭数のみが減ってゆく……。
夜の白々明ける頃には、お屋形様と北の方様、吉濃様、儂を含めたごく近しい家臣だけが籠城するのみとなっておりました。
敵に首魁を渡す位ならば、とお屋形様は自刃を決められました。その段になりましてな、吉濃様が介錯は橘丸――儂の俗名ですじゃ――でなければ嫌だと言われましてなあ……。無論、他に老練の者がおりましたから、皆その者がお屋形様がたの介錯をするものだと思っておりました。
お屋形様や北の方様がなだめすかしても、吉濃様はゆずらんのですわ。終いにはお屋形様がお折れになりました。ひとり娘の最期の願い、聞いてやりたいのが親心なんでしょうな。
儂はひとり、お屋形様と北の方様、吉濃様が水入らずで別れの盃を酌み交す座敷の前に座り、時を待ちました。襖の向こうからは、辞世の歌を詠み上げる聲が朗々と響いて居ります。吉濃様が歌を詠み終えた次の瞬間……只ならぬ悲鳴が聞こえてきたのです。
儂はお屋形様がお呼びになるまで襖をあけてはならない、と言われてはおりましたが、座敷に飛び込みました。そこには既に血の海で事切れたお屋形様と北の方様、そして小刀を握りしめた吉濃様……。すわ発狂かと、儂は刀に手をかけました。
が……。
「父上、母上の名誉は吉濃がお守り申し上げました。橘丸、私を晴賢様に逢わせて下さいませ。吉濃は、武家の誇りを守るよりも、一目晴賢様にお逢いしたい……。浅ましい女と思われるでしょうけれど、……お願いです」
ご両親の喉からの返り血を真白な着物に浴びて、静かに仰るのです。
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