第一章 ~九尾の狐~

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       ■ ■ ■  そこに、雪はなかった。  しかし少しばかり肌寒く、まるで【春の曙】を表しているかの如く、春の曙が、そこには在った。  千利休が淹れた茶の湯気の様な靄が、川原に立ち尽くす芭蕉と曾良の前方で、優雅に漂っている。  芭蕉は大粒の涙を静かに落とした。  曾良は感涙に咽び続ける。  余りにも、美しい。その上、澄んだせせらぎが通る岩場というのが、また最上の風情を感じる。  川を辿れば、これはまた壮大な滝が見えた。膨大な音と巨大な体で、芭蕉等の鼓膜を、網膜を、魂の奥底を震わせた。  新緑に囲まれたのは、何年振りだろうか。芭蕉は直ぐに分かる筈の問い掛けを、自分に当てる。  だがそれは、真実を答えられない。  こんなにも美麗なる自然は、生涯出会ったことがなかったからだ。  微かに鼻を衝く――上等な酒の香。  この地の何処からか、何やら美味い酒の匂いがするのを芭蕉は感じ取った。  曾良も気付いた様で、芭蕉が眼を合わせると微笑と共に頷いてみせる。 「曾良、本当に、春は在ったのだな。近くに花見酒も、用意されているようだ」  早くもほろ酔い気味な芭蕉が、日に輝く飛泉に見蕩れながら曾良へ言う。 「ええ」曾良も同じく、顔に椛を散らせて滝を見詰めた。「ですが」 「ん? ですが?」  歯切れの悪い言葉に、芭蕉は眉間を狭めて曾良を見た。
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