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しかしその笑みは、心に暗闇を持った者にとっては、酷く胸に刺さる表情であった。
基角はそっぽを向き――何も言わず、川へ、体を預けた。
「基角!」芭蕉は叫ぶ。しかし、九尾の狐が引き止めた。「あやつは、あの道を選びました。さて、では人間をこの川へ運ぶ役は、こちらの方へお願い致しましょう」
九尾の狐は曾良を一瞥して言う。しかし芭蕉はまたもや声を荒げた。
「妖怪! あっさりしているな! 基角はどれほど苦労したか、基角の父に会わす顔がないわ! それに基角は――私の友なのだぞ!」
「友? あやつはそなたを殺害しようとしていたのですよ?」
「知ったことか。酔って忘れたわそんなもん」
「ほう、左様でございますか」
「それにな、妖怪。私は旅の者。こんな一つしか季節のない詰らん場では満足できないのだ」
「ということは、ここを出て行く、と」
「ああそうだ! ついでに――【春】を返してもらおうか!」
芭蕉は九尾の狐に、桜の様に眩しい瞳を向けた。
九尾の狐は、曾良を乱雑に地へ落として言う。
「そうか、そういうことか。成る程、承知した。――貴様ッ!」
九尾の狐は怒号に喉を震わせ、天高く飛び上がった。一瞬で点になったかと思えば、川へと飛沫を大仰に立てて飛び込む。
「曾良、大丈夫か?」
仰向けの曾良を、芭蕉は激しく揺する。しかし反応はない。一旦、ここから少し離れた木陰へ移動させることにした。
《歩》は、投げられた。
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