第二章 ~天狗~

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 しかし酒を二口も呑まず、酔うに酔い切れない、宴とも言い切れない所で打ち切ることになった。  思わぬ事態である。休み始めて五分経っていない。  しかし、その短時間で、杞憂さえ出来ない、前兆さえない事件が起こった。  芭蕉が隠し持っていた苦無で――人の首を斬ってしまったのだ。 「芭蕉さん」斬られた者は倒れながら、師匠の名を名残惜しそうに呟いた。  その男は、見掛けたので後ろから声を掛けただけなのに、と端整な顔を歪ませる。 『蕉門十哲』の一人――服部嵐雪(はっとりらんせつ)であった。首から鮮血を撒き散らして仰向けになった嵐雪。  そしてこの光景を、同じく蕉門十哲の森川許六(もりかわきょりく)、向井去来(むかいきょらい)に見られてしまった。 「芭蕉さん、何で此処に……」「あなたの様なお方が、何故嵐雪を」二人は信じられないという風に、芭蕉と息絶え絶えの嵐雪を交互に見詰めた。 「嵐雪! 大丈夫か!」  芭蕉が苦無をしまい、嵐雪の肩を掴む。芭蕉は脂汗とも取れる液体を、全身から吹き出していた。  自分のした事が分からないのだ。酔っていた訳でもない。何故。と脳が絡まる。まるで自分自身で自らの逆鱗を引っ繰り返した様な心情。意味の分からない事態に混乱し、ただただ嵐雪を見詰めていた。  経緯が今一分からない。だが結果だけは、嫌というほどに鮮やかだ。  芭蕉が嵐雪を殺した。師匠が弟子を殺した。  覆水盆に返らず。決して覆せない、真実であった。そして芭蕉は、走り寄ってきた許六に突き飛ばされてしまう。
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