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【弐】
ぐったりした葵姫の息を確かめると、明姫はひとまず胸を撫で下ろした。
顔色は悪いが、息はあるようだ。それというのも……
「貴方は一体……?」
明姫は謎の参入者に視線を向けた。
開け放たれた半部(はじとみ)から差し込む月光が彼の者を照らす。
深い光を宿した静かな眼差しに端正な顔立ち。
先程の衝撃で烏帽子(えぼし)も飛ばされたのだろう。
解き放たれた黒髪はしなやかに風にたなびき、月明かりのせいか時々銀色に輝き神秘的な美しさを放っていた。
「陰陽頭(おんみょうのかみ)、安倍吉昌(あべのよしまさ)と申します」
吉昌は表情を少しも動かさず、しかしながら、凜と透き通る声で応えた。
「陰陽頭……?というと、彼(か)の大陰陽師・安倍晴明殿の……?」
「安倍晴明は我が父。今は頭の官位を私が預かっております」
吉昌は事もなげに言った。
しかし、吉昌を見た目で判断するならば明姫の二つ三つほど上、齢(よわい)にして十七、八だろうか。
その年齢にして天皇直属の陰陽寮を統べる役職に就くには、親の七光りだけでは到底賄えまい。
政(まつりごと)に疎い明姫でも、陰陽寮がいかに主上(天皇)に対して発言力を持っているかは聞き及んでいた。
「申し遅れました。私、藤原行成が娘・明と申します。陰陽頭殿、こたびは誠に御礼を申し上げます」
礼が遅れたことに多少の気まずさを感じながら、明姫は短刀をしまった。
「……今宵はこれにて」
吉昌はさして気にかけていない様子で軽く頭をさげると、音もなく半部から庭へと降り立った。
そして、ふと気付いたようにゆっくりと振り返り明姫に目線を向ける。
「それなる懐刀、何か呪(まじない)を帯びております。充分に御気をつけて」
明姫ははっとし、思わず懐に手をやった。
吉昌は再び会釈すると、闇に溶け込むようにするりと去っていった。
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