【第一章】 安倍吉昌、明姫と出逢ふ語〔こと〕

6/14
前へ
/1453ページ
次へ
【四】 「お帰りなさいませ、吉昌殿」 天皇との謁見を済ませた吉昌が自宅に戻るなり出迎えたのは吉昌の北の方・真雪だ。 齢は十九、絹のように流れる黒髪は平安の都でも類稀なる美しさだ。 ただ、宝玉のごとき翡翠色の双眸は、真雪が純粋な大和人で無いことを示していた。 「主上のご様子はいかがでしたか?」 「問題ない」 一条天皇が体調を崩したということで、昨晩の騒ぎの報告も兼ねて参内したのだが、ただの流行り風邪のようだった。 吉昌が必要とされるのは、天皇の御身体が呪術や怨霊の類によって害された時だ。 「ならば、よろしゅうございました」 真雪はほっとしたように微笑んだ。 「真雪、吉平(よしひら)は戻っているか?」 吉昌は束帯(そくたい)を解きながら問うた。 「いいえ。昨晩からお出掛けのままですわ」 真雪は心なしか、むくれた様子で吉昌の問いに答えた。 いつも穏やかな真雪だが、義兄の話になると不機嫌になる。 「真雪、吉平が嫌いか?」 「ええ、苦手ですわ」 真雪の露骨な物言いにさしもの吉昌も苦笑した。 妻は時々女童(めのわらわ)のようなことを言う。 「それは残念。俺は真雪の瞳の色、結構気に入っているんだけどな」 突然真雪の後に現れた男はそう述べるなり、ふうっと真雪の耳元に息を吹き掛けた。 「きゃあ!」 真雪が悲鳴をあげ、きっと後方の男を睨みつける。 「吉平殿!何をなさいますの!?」 吉昌と真雪の目の前にいる男は、口元にうっすら笑いを浮かべている。 表情こそ違えど、その顔は吉昌のそれと瓜二つだった。 山吹色の洒落た直衣(のうし)を着こなした吉昌の双児(ふたご)の兄・吉平だ。 真雪は吉平を睨みつけたまま、吉昌の後へと身を移す。 「吉平、お前に狐の供養を頼みたいのだが」 吉昌は布に包(くる)まれた小さな獣の頭蓋骨を示した。 「優しいな、吉昌は。さすが……というべきか。」 吉平は微笑を浮かべている。 「生憎今からまた出かけるのでね。式にでもやらせたらどうだ?」 吉平は肩をすくめると、今吉昌が通った入口から外へと出掛けていった。 「だから、吉平殿は苦手なんです」 真雪が念を押すかのように、力をこめて主張した。 ※束帯…男性の正装 ※女童…女の子 ※直衣…男性の普段着 ※式…式神のこと。陰陽師が使役する使い魔みたいなもの
/1453ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4609人が本棚に入れています
本棚に追加