1981年ズージャな方向

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1981年ズージャな方向

デビューから四年目を迎えるサザンも20代半ばにさしかかっていた。 この年、アレンジャーに八木氏を加え、サザンの楽曲はブルースだったりジャズだったり、ブラック系の音楽に偏って行く事になる。 まずこの年に発売されたシングルは Big star blues 栞のテーマ の二枚のみ。 前年に比べて少ないが、通常のペースではなかろうか。 しかしどちらも当時はヒットせずカップリングも含め、この年に発表した ステレオ太陽族 この一枚に集約されきっている。 このアルバムは先に記述したように、アレンジャーの八木氏の影響なのか全体的にジャジーやブルージーな曲が多い。 そしてこの年、桑田は初の音楽監督として映画「モーニングムーンは…」を手掛けている。 その他に、この頃の桑田は前年からオールナイトニッポンのパーソナリティーを始め雑誌プレイボーイに「ケースケランド」を連載し文筆家としての面も発揮している。 加え この年、桑田は一昨年前から立て続けに放送禁止曲の指定を喰らう事になる。 曲は原坊に提供した楽曲 I Love youはひとりごと 歌詞の性描写などが露骨すぎるなど指摘され、放送禁止になったのだ。 これに対し桑田は不服だと、とある日曜の昼にビルの屋上からゲリラライブを行い、ちょっとした騒動になったのである。 放送禁止 桑田はエロっぽい歌詞でこの時期は、数曲出している。 同時期に活動していた人気ロックバンドのRCサクセションも反社会的思想や攻撃的な歌詞が多く、こちらも放送禁止、場所に寄って有線自粛など、伝説は尽きない。 だからなのか、過去に忌野清志郎は自信の音楽友達で桑田はいい奴だと書いている。 本題に戻り、サザンはシングルヒットのないまま1981年を終わる事になる。
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