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「おれは、茜丸」
会話が通じたことで、袁晋卿から、恐怖心が少しだけ和らぎ、後ろを振り返った。
しかし、生きた人間はどこにもいない。白くぼんやりとした光りが、近くにある棚の横にいた。
それは、まるで煙のようだが、時折、はっきりとした人の形になる。
右目にある一本の縦傷が印象的な男は、からだつきが良く、その服装から見て、若い漁師に思えた。
「なぜ、この島に、入った」
茜丸と名乗った男は、もう一度訊いた。
「海を、さまよって、いると……」
袁晋卿の声はまともに出ることはなかった。
「この島に、いては、いけない」
茜丸が一言ずつちぎるように言った。
「子の刻、までに、にげろ。……鬼哭啾々の吠えとともに、舟幽霊、現る」
それだけを言うと、茜丸は、風に流されたように消えた。
声が出なかった。短い間、ぼうっと立っていた。やっと体が動くようになり、部屋の外へ出ようとした。
戸に手をかけようとして、はっとした。戸は少しだけ開いているのに気づいた。
そして、廊下から何かの気配を、感じた気がした。
袁晋卿はゆっくりと、廊下へ顔を出した。
誰もいない。
怪訝な顔をして部屋から出る。
「この部屋に入った時は、確かに戸を閉じたはずだ。誰かが、覗いていたのか。でも、誰が」
何者かが、通ったのは間違いはなかった。
「袁、そこにいたのか」
聞こえたのは、若藻の声だった。首を向けると、そこには若藻と古麻呂がいた。
「あれ、真備さまは」袁晋卿は首を傾げた。
「それが、真備の姿が見あたらないんだ」
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