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『……三郎』
自分の名を呼ぶ声がして、その青年は応える。
「何だ?」
『いや、海はでっかいのぅ、と思ってな』
それは、鳥の内部の、通信機から聞こえる、隣の同僚の声であった。
一度機械に通されたその声は、雑音がまじり、普段の同僚の声を貧相にする。
もう自ら止まることのないだろう鳥の泣き声は煩く。
しかしそれでも、通信機の向こうの声は、不思議としっかり聞こえてきていた。
青年は、言う。
「そうじゃのう」
青年の声は、ただ、いつも通り友と話しているような、透き通った声であった。
『実際、どれくらいの大きさなんかのぅ?』
「分からんなぁ」
『世界の人間が、全員手を繋いだら、地球の周りをぐるりと一周するんかのぅ?』
「分からん、なぁ」
青年の声が、少しだけ、ほんの少しだけ、くぐもった。
この同僚、元来の性として、あまり争いごとの好きな者ではなかった。
それは自分も同じである。
だがら青年は、機械の向こうにいる同僚の気持ちが、痛感出来たのであった。
『なんじゃ?』
「い、いや、なんでもない。すまん」
青年は、そう言って、ちらりと風防に貼られた一枚の写真を見る。
白黒の、随分と色褪せてしまったその写真。よく見れば、写っている三人の内一人が、青年であることが分かった。
「…………」
写真の中の自分は、にこやかに笑っている。もう、その笑顔は昔のことであった。
そうして青年は、写真の真ん中に写る、椅子に腰かけた少女を、いとおしげに見つめるのだった。
淡い白黒から、微かに判断出来る少女の容貌は、美しい、というより、可愛いらしいというほうがしっくりくる。おかっぱ頭で、もんぺ姿の少女。
やはりこちらを向いて、笑っていた。
「…………」
もう一人。
真ん中の少女を中心として、自分の向こう側にいる、写真の青年と似たような身なりをした男子。
青年は、この男子を見た。
青年と男子は立っていたので、男子の方がやや背が高いことが分かった。
顔の方は、悲痛なる運命をつきつけられた故の美しさを持っている今の青年と比べると、申し訳ないが、男子の方は芋っぽく見えた。
そんな静止した二人を、青年は交互に見つめるのだった。
『――――い』
「…………」
『おい! 三郎!?』
だから、先ほどから何度も自分を呼んでいた同僚の声に、青年は気付けなかった。
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