勿忘草の想い出

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その日は今にも雨が降りそうな曇り空だった 今日も貴方は現れることなく夕方を迎えた 私は意を決して貴方の元へと走った リンリンと走るみすぼらしい私を道行く人間は怪訝に見たがそんなのどうでもよかった ただ貴方に逢いたい…私の頭はそれでいっぱいだった 以前来たことのある貴方の家の近くに来るとちょうど貴方が帰り着くところだった よろよろと貴方の元へ近付こうとする足が不意に止まる 迎えに来た奥さんが抱えていたものを貴方が受け取り愛しそうな瞳で見つめた後、ゆっくりとそれに唇をおとした 私はそれが何であるか知っていた あれは<赤ちゃん>…人間の子供… 私は一瞬で全てを理解した 貴方が私の元へ来なくなったのは…もう貴方の腕に私の居場所はないから 貴方の腕は貴方の奥さんと赤ちゃんでいっぱいになってしまったんだ もう私の入る隙間なんて何処にもなくなってしまった 私は私を抱くときよりずっと優しく、私を見る時よりずっと愛しそうに赤ちゃんを見る貴方を見てそう悟った リンッという音と共に私は駆け出した 私といるときよりずっと幸せそうに笑う貴方とは逆方向に… しばらく走ったところで私は足を止めた もしも…もしも私が人間だったなら…私は貴方の傍にいられたかな…? いや…もしそうだったとしても貴方の目に私は写らない 私はどうやっても貴方の近くにはいられないんだ 貴方の傍に私の居場所はもう失くなってしまった 私の気持ちを表すようにポツリ…ポツリと雨が降ってきた それはだんだんと強くなりしまいには土砂降りになっていった 雨よ…降って降って降って…いっそ私も流れて消えてしまえばいい 私は大声で泣いた…でももう私の声は貴方には届かない ただ降り続く雨だけが孤独な私を抱いていた
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