京へ

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20を迎えていた沖田は、文久元年(1861)には、道場の塾頭になっていた。 しかし、才があるものだけに、他人に剣術を教えるのは上手く無かった。 太刀筋は荒っぽく、気も短かったために、弟子たちはみな沖田を恐れていた。 晩年、死を悟った沖田はそんな事は無くなったという。
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