京へ

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時は早くして文久3年(1863)、京都は尊王攘夷を唱える諸国の不逞浪士たちによる「天誅」と呼ばれるテロ活動が広がっていた。 そこで幕府は、庄内浪士清河八郎の献策を採用し、江戸の浪士を組織させ壬生浪士組を作り、京へのぼらせるというものだった。
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