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 中学も、高校も、そのような状態でした。妹は唯一、学力においては私より下でした。それでも「ねえさまと同じ学校が良いの」と言って頑張ったのです。私と妹の歳の差は二つなので、私が三年生になると妹が入学してきます。どの学校にも、妹の入学前から、妹に対する噂はありました。あの不細工には、とても美しい妹が居る、と。そしてどの学校にも、妹が目当てで私に話し掛ける人間が多数湧きました。私はついに、そういう人達にまともに対応する事もやめてしまいました。どうせ踏台なのです。少しでも「友達が出来た」などと浮かれれば、その後のどん底が余計に辛くなります。次第に妹目当ての人間すら、私に近寄らなくなりました。私は小学校二年生から高校卒業まで、学校では妹以外とほとんど話さず、目も合わさず、まるでそこに居ないような立ち位置でいました。  大学は、実家から遠くて、妹の学力ではおよそ無理だろうと思われる所を選びました。妹を嫌いになったわけではありませんが、いい加減に耐えられなくなったのです。  僅かな荷物を手に引っ越す時、両親は厄介払いが出来たとばかり笑っていましたが、妹は泣きました。ねえさまがいないと寂しい、と言われて、私は申し訳無く思いました。それでも、妹と離れたい気持ちも少なからずあり、とても複雑な心境で、実家の土地を後にしました。  大学には、私の妹の存在を知る者はいませんでした。それだけで、どんなに救われたか。相変わらず親しい者など一人も出来ないながら、踏台にされるより、ずっとましな中で過ごしました。その間だけ、私はとても楽でした。  私は妹が好きだと思っていました。しかし、やはり心の何処かでは、妹の存在が疎ましかったのでしょう。  両親に望まれないので実家にも帰らず、時折妹が電話で「ねえさまに会いたい」と言うのをかわしながら、大学に入って三回目の四月を迎えました。  いつもの如く大学から帰宅し、部屋着を着た所で、電話が鳴りました。出てみると、やはり妹でした。ここに電話をかけてくるのは、妹くらいしかいないのです。  妹は泣いているようでした。心配になり、どうしたの、と聞くと、妹は「ねえさま、私、ねえさまの大学に受かったの」と告げました。
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