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【その後二代目艦長は 鈴木正吉 少佐が指揮官として赴任した。】
【鈴木】
「私が 当艦長の鈴木正吉少佐である、各選任士官 下士官 水兵 諸君よろしく頼みます!」
【大堀】
「指揮官に対しかしら~なか!」
【イ-47潜全員】「
きをつけ! 敬礼」
【鈴木】
「大堀大尉 よろしく、折田少佐からは大体聞いている、私の補佐として 期待している、力を貸してくれ。」
【大堀】
「は はい 期待にそえる様力を出します!」
鈴木艦長は 全て大堀副長に一任した、やはり艦内の統制や戦闘の経験などがあったからだ。 鈴木艦長は折田艦長と違い人を育てるより、出来る人間の意見を聞き、考え判断下す人だった。
イ-47潜は折田が敷いた風土があり、鈴木艦長は何も言わず従った。
昭和20年7月19日 イ-47潜鈴木艦長指揮で沖縄方面に出撃したが、連日の悪天候で会敵出来ず 8月11日帰投した。そして8月15日終戦を迎えた。
乗員は解散し… イ-47潜水艦は米軍に没収為れ海没処分にされ 激闘の生涯を閉じた。
菊水隊の仁科は終戦を予期し「自分達が礎となって日本は立派になるのです」と折田艦長に明かしている。
晩年 折田は今変わり行く日本を見て 仁科はどう思うだろう… 悲しい!
折田善次元海軍少佐は 平成3年8月に 亡くなる迄 妻の久さんに回天塔乗員達の思いを語っていた。
写真は回天記念館内の遺影と回天断面図です。
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