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「虎哉宗乙がよかろう。若いころ、東昌寺にもいたことがあり、拙僧も人柄はよくぞんじておる。豪快な傑僧じゃ。あの方なら、梵天丸どののうじうじした性根をこっぱみじんに打ちくだかれよう」
虎哉宗乙は、美濃(岐阜県)の人、このとき四十二歳。快川紹喜に師事して、大虫(栃木県の雲岩寺和尚)とならんで、天下の二甘露門(二人の、人々を教導するにふさわしいすぐれた禅僧)としょうされる名僧であった。快川は、のち、織田信長に恵林寺を焼き打ちにされたとき、もえさかる火の中で、
「心頭を滅却すれば火もまたすずし」
といって悠然と死んでいった人だ。
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