コイゴコロヒトツ

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 ――今夜こそ、誘おう。何度も何度もシュミレートした。自室で声出して練習までした。声をうわずらせないよう気をつけて。なるべく自然に。そう、別に普通のコトだろ? 全然普通のコト。同じ部署の先輩が後輩を飲みに誘う、ただそれだけなんだから。  ごく、と唾を飲み込み一つ大きく息を吸って、章生は二歩前進した。目の前には小さく丸められてもなお章生の二回りは大きい背中。その広い背の持ち主は、ただ今ぽりぽりと頭を人差し指で掻き、考え込むようにうーんと小さく唸りながらノートパソコンのディスプレイとにらめっこ中である。  章生はもう一度、息を吸い込んだ。 「おい、セーイチ」  頭を掻く手をふと止め、章生が見つめていた背中の角度が変わる。 「あ、はい?」  振り返る緩い笑みに頬の温度が上がるのを感じる。仕事の疲れを飛ばすフリをして章生は自分の両頬をぺちぺちと叩いた。 「も、もう終わりそうなら、帰りに一杯、どう?」  ――言った。おかしい所はなかっただろうか。どこも怪しまれるようなところはなかったよな? こんな短い台詞なんだし。 「……いいすね。このメールに回答出したら終わりなんでちょっと待ってもらえますか?」 「お、おう」  章生は小さく頷いた。  ――返答までのあの間はなんだ? やっぱどこか怪しかったのか? いやそんなはずは。  待つ間章生も再び席に戻り自分のノートパソコンの電源を入れた。けれどもあれこれ考え込む章生には、パソコンから提供される情報は何も脳にまで到達しなかった。  一緒に社屋を出る。同じ歩幅で、並んで歩く。時折自分だけに向けられるセーイチの人の好い笑顔。自分だけに掛けられるセーイチの言葉。……ざわつく胸の奥の鼓動が気になって上手く笑えない。  飲み屋のカウンタに隣合わせで座った。セーイチが腰掛けざま、肩が触れ合う。触れた肩が熱くなったと同時にセーイチからコロンの香が流れてくる。辛く、澄んだ清潔な香。その瞬間心臓がきゅ、と音を立て収縮する。 .
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