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宰相の依頼
その日、彼はその事態に気付いて、しばらく息を止めていた。
苦しくなって、ようやく呼吸を再開したが、その顔色は青いまま。
自分を一瞬にしてここまで追い詰めた原因を頭の中で探り、結論に至った途端。
絶叫を放った。
† † †
アルシュファイド王国。
この国は、世界にただひとつの、黒土から成る大陸、そのほぼ中央に位置する。
南北に大陸を貫くふたつの峻厳な連峰が、その国土を東西の隣国より隔て、侵略の歴史を持たない。
農地はさして広くはないが、他の産業が相当に発達しており、またこの地特有の稀少資源もあって、国も、国民も多少の差はあれ、豊かに暮らしている。
その豊かさを助け、支える資源のひとつが、この大陸最大の湖であるレテ湖だ。
外海と繋がっていて、漁業はもちろん、大陸随一の交易の要ともなっている。
レテ湖の正面には、軍の中枢である黒檀塔が置かれている。
シィンは、その要塞と王城を繋ぐ廊下から、王の執務室へと向かっていた。
銀を含む白髪をなびかせ、深い紅色の瞳を真っ直ぐ前に向けて、騎士らしく颯爽と歩く彼の姿を見る者は皆、一様にため息をつく。
若干21才にして国王補佐兼王城警護主任となった彼は、容姿にも資質にも、ついでに家柄にも恵まれていた。
惜しむべきは、いかなるときにも変わらない、その無表情ぶりか。
だが、無愛想な割に人望は篤い。
非常に優秀で有能な彼は、重臣たちの憶えもめでたい。
他人から見れば羨ましい限りだが、悲しいかな、その有能さゆえに厄介事を押し付けられることも多い。
今日も今日とて悩める子羊…もとい、同僚であり年の近い友人でもある男が、何やら柱の陰から手招きする。
シィンは正直に思った。
……近づきたくない。
そうはいっても、常は自分の良き理解者であり、相談者となってくれる彼のこと。
無下にできず、溜め息を吐きつつ、柱の裏へ回る。
「アークを待たせるわけにはいかないんだが?」
さっくり牽制を放つと、彼は―――この国の宰相たるユラーカグナ・ローウェンは、頭に被った頭巾で口許を押さえ、くぐもった声を出した。
「わかっている。アークには神殿への外泊許可を出す。それでごまかしておけ」
言って身を翻すと自らの執務室に向かう。
背筋を曲げ、足早に歩く様は不審者のようだ。
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