名も無き花

11/29
前へ
/302ページ
次へ
 目に前に微笑む零の顔があって、衝撃のあと零の顔以外がまた反転した。  平衡感覚があやふやになったところに、顔の横に文献がバサバサと落ちてきて、自分の上に零が乗っているとわかった。  それがわかったとたん、急に全身に重みを感じる。この子はこんなに重かっただろうか。 「れ、零ちゃん、重い……」 「会いたかったぞ、美智子」  日に日に男らしい顔つきになっていく零が、鼻同士がくっつきそうな距離で目を細める。 「あ、会いたかったって、零ちゃん。つい3日前に会ったばかりでしょ」 「3日間も会っていない」 「そんなこと言ったってしかたないじゃない。そう毎日会えないわ」 「毎日会いに来ればいい」 「あのねえ。零ちゃんそろそろどいて。こんなところ見られたら――」  もぞもぞ動く彼女を制すように腰を抱く腕に力を込めて、 「少し黙っていてくれ」  零は、彼女の首に顔をうずめた。 「ちょ、零ちゃん!?」 「黙れって」 「やめて! お願いだからやめて! こんなこと、鷹遠くんに申し訳が立たないわ!」 「鷹遠……?」  ぞくりとする低い声だった。怒りが満ちた声色とは裏腹、顔を上げた零の瞳は切なげに揺れていた。 「そうよ。私は、今、鷹遠くんの妻なのよ。私を受け入れてくれた鷹遠くんに顔向けできない……」  零はギリッと歯噛みして顔を背け、彼女から離れた。
/302ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7063人が本棚に入れています
本棚に追加