名も無き花

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「れ、零ちゃん……わたし……」  彼女は震える手を口に当て、震える声を抑えようとしているようだった。  唇を噛んで、零は、握っていた彼女の手をゆっくりと引き寄せた。力なく倒れてくるか細い体をそっと包む込む。また、少し痩せたようだ。 「美智子」ずっとずっと自分より大人だと思っていた。年齢も精神も。「責めているわけじゃない」  こんなに小さかっただろうか。船の中で自分をひっぱたいて、手を払いのけた女は。 「責められるわけがないんだ。親を殺した俺を――」  ぴく、と、彼女の方が震えた。零は、大きく息を吸って、抱きしめる腕に力を込めた。 「美智子は俺を父親にしてくれた。まだ、子供たちにどう接したらいいかわからないけど……美智子には本当に感謝してる」 「零ちゃ」 「だからその……」被せるように言って、彼女の言葉を遮った。「……ごめん。あんなこと言うつもりじゃなかったんだ。でも、鷹遠のこと聞いたらその……無性に腹立たしくなって……」  ほんとごめん、と零は、泣きそうな声で呟くように囁いた。彼女の髪に顔をうずめ、歯を食いしばる。  愛と形容するには互いに足りなくて、恋と形容するには互いを知りすぎた。  もどかしさとせつなさと悔しさと、胸を焦がす熱をなんと呼べばいいかもわからず、意味もわからず。  憎しみを捨てきれない女と、自責を拭い去れない男は、噛み合わない歯車に負荷をかけ続けるしかできないでいる。  
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