名も無き花

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 思うやいなや、獅ノ介は邪魔な長い髪をくるくると巻いて上げ、帯からかんざしを抜いて、まとめた髪に挿した。  素早くたすきを掛け、帯結びから短刀を抜こうとしてやめ、首もとから背中に手を入れ小太刀を抜く。  ただ、首の皮と頸動脈を斬るためだけの、極限まで薄く細く作らせた白鞘をくるりと回して逆手に持ちかえながら、廊下を蹴った。  思考を切断する。自分は、実は機械なのではないかと錯覚する瞬間である。  身体が勝手に風の流れを計算し、空気の狭間に滑りこむように、走り抜ける。  獅ノ介の目には、もう、そのだらしなくはだけた首筋しか見えない。  あと一歩で間合い、というところで、こころにさっと冷気が横切り、半歩遅れた。  風切音が聞こえない限界のはやさで手首を返す。  目の前の首に刃をあてる寸前、自分の首に衝撃をうけた。 「殿中だぜ」首から一筋鮮血を垂らしながら、銃口を獅ノ介の首に押し付けてニヤリと笑う。「ふたばチャン。相変わらず可愛」 「黙れゴミ」 「ゴミって! ふーチャンゴミって!」  ふーちゃんってだれだ。 「その悪趣味なガン下ろせ」一気に殺意が失せていく。「鷹遠」  三代橋鷹遠はいささかむっとして、 「PPKのどこが悪趣味なんだよ」 「これから暗殺しますって銃だろが。だいたい、おまえ、どっからわいてきたんだよ」  当主はまだ幼い五十嵐の子供たちの為に、4つの門すべてに門番を置いている。  が。 「正面から堂々と入ってきたぜ。文句は気付かなかったオタクのこのえに言いなァ」  だろうな、と、獅ノ介は、諦めのため息を吐いた。  鷹遠の気配の消し方は、野生じみていて、烏(からす)くらいだったら、気づかないどころか、潜在的に“気づきたくない”とさえ思うだろう。  まさに猛禽類のそれである。
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