名も無き花

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「たったひとり……」  獅ノ介は無意識に反芻して、蔵の砂壁を見つめた。 「殺したいくらい憎くて死にたいくらい愛しいって、どんな感じなんだろうなァ……」  力なくつぶやく鷹遠の声がそっと聞こえた。  遠くに聞こえるのは、自分にもわからないからだろう。それほどの激しい感情に身を任せたことはない。  もし、と、獅ノ介は不毛なことを思う。もし、あのときこらえなければ、何か変わっていただろうか。  愛している、と。  俺が守るから、と。  叫んでいれば。 「指一本触れられねェんだよなあ……俺としたことが」  ぽつり、と呟やかれた声に、獅ノ介の意識は“あのとき”から引っ張り戻されて、キッと鷹遠に視線をつきつけた。 「そう睨みなさんな。今は俺の女房だぜェ。それに」  と今度は鷹遠が壁に視線を流した。優しい視線だった。 「あやをあんなに可愛がってくれる。自分のヤヤでもないのになァ……そんな姿見てるとこうムラっと」 「すんなバカ! 腐っても聖母だぞ、バカな考え起こすな下半身バカ!」 「腐ってもって……おまえ酷い男だな」 「そこか!」バカは否定しないんだな、こいつ。「まあいいけど。鷹遠も『あや』って呼んでるんだな」  へえ……、と、しみじみ見つめる獅ノ介に、鷹遠は少しだけムッとして、 「悪いか」 「かすみが生まれただろ?」 「我が子の可愛さに優劣なんかつけらんねェよ。だから……」  鷹遠は苦しそうに眉根を寄せて、目を伏せた。  初めて見る表情だった。 「どうにかなんねェかなと思ってよ……零チャンに……」  頼みに来たってわけか。
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