第二十章~時流~

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…青龍四年(236年)四月、曹叡は崇文観を設置して、文章に秀でた者を登用した。 彼の公共事業や趣味に対する熱はさらに高くなり、呉に対して馬と真珠・翡翠などの宝玉を交換したいと交渉するほどであった。 五月、八十一歳の司徒・董昭〈トウショウ〉が亡くなり、その死に際して曹叡に遺言を書き残していた。 そこには、これまでの君恩への感謝が述べられ、さらに意見として、くれぐれも民を安んじ、皇室を立て、節約に努め、有能な人材を登用するように書き記してあった。 曹叡は頷いた。 「董司徒の忠義は朕は忘れる事は無い。朕が即位してから、先帝以来の功臣が幾人も亡くなっている。これは重要な問題だ」 しかし、人材に関する以外の事項については深く取り上げられなかった。 もはや群臣達は処罰される事は無かったが、公共事業や後宮に関する諫言は、皇帝に受け入られる事は無かったのである…
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