第二十一章~毛皇后死去~

6/10
前へ
/223ページ
次へ
…公孫淵の使者が訪れると、呉臣はその虫の良さに皆激怒したが、ただ孫権だけは魏を苦しめる機会と思ってその旨を受け入れた。 カン丘倹はこの行動を聞くと、すぐに曹叡に使者を出して、自軍を率いて遼東に進撃を開始した。 ところが丁度この時十日間も長雨が降り、遼水が増水してしまったために、曹叡は詔書を出してカン丘倹を引き上げさせた。 彼も敵を目前に撤退するのは悔しかったが、仕方なく後退した。 公孫淵はそれを確認すると正式に自立を宣言し、自らを燕王と称して、年号を紹漢元年とした。 曹叡の頭の中は遼東に対する戦略でいっぱいになった。 (やはりカン丘倹では荷が重いやもしれぬ。次に敗れた時は我が軍の威に傷がつく。そうなれば呉・蜀の士気が上がり、再び動き出すに違いない…。やはり司馬懿を用いるしか無いか…) 曹叡の司馬懿に対する信頼は絶大なものであったが、彼自身が陳キョウにこぼしたように、魏の将来を任せるかは不安があった。 「諸刃の剣、か…」 陳羣の言葉を思い出し、ため息をついて一人思案にふけるのだった…
/223ページ

最初のコメントを投稿しよう!

967人が本棚に入れています
本棚に追加