第二十二章~遼東征伐~

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公孫淵は首山という所で再び迎撃したが、司馬懿は自ら軍を指揮してこれを大破した。 司馬懿は優れた智謀を持つ将軍であり、熟練の用兵家である。 公孫淵の軍が正面から戦ったのでは、勝てるはずが無かった。 遼東軍は襄平に退き、再び塹壕を掘って対抗しようとした。 司馬懿は敵に迫ったが、この時一ヶ月の長雨が降って一旦攻撃を中断せざるを得なくなった。 この様子が洛陽に届くと、曹休の子・曹肇は言った。 「陛下、遼東では長雨が降り、急には撃破出来そうにありません。一旦撤退させてはいかがですか」 曹叡は言った。 「司馬懿は危機にあっても、状況の変化に応じて対応できる人物だ。きっとこれを利用して敵を撃破するだろう。公孫淵を破るのも時間の問題だ」 果たして事態は曹叡の予測したようになった。 司馬懿は雨が止むと土山を築き、櫓を作って連発式の弩をそこに設置して城に射込んだ。 このような弩はかつて蜀の諸葛亮が考案したものであり、司馬懿はそれを戦いの中で会得し、活用したのであった。
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