第二十二章~遼東征伐~

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悲惨なのはむしろ城内の方であった。 長雨によって食糧も尽き、餓死するものが続出していた。 さらに司馬懿の築いた櫓から矢が射込まれる。 これにはたまらず公孫淵の将・楊祚らは司馬懿に投降した。 公孫淵も追い詰められ、和議を結ぼうと司馬懿に使者を送った。 しかし彼は即座に使者を斬り捨てて言った。 「わしは侯の爵位にあり、陛下から仮節(死刑を決める権限)を授けられ、勅命を受けて来ている。和議などとは冗談にしても不愉快だ」 公孫淵は焦って、さらに人質を出すから許して欲しいと使者を送った。 司馬懿は言った。 「この期に及んで降伏も出来ぬとは…。もはや汝が助かる道などない」 八月二十三日、ついに遼東軍は崩壊した。 公孫淵は子を連れて逃亡を図ったが、司馬懿はこれを急襲して彼らを斬り殺した。 さらに襄平を一気に攻めて陥落させ、七千人に及ぶ首級を上げた。 司馬懿は戦勝を宣言し、その首級を積んでさらし、人々はこれを「京観」と呼んだ。 彼はその後もカン丘倹に遼東郡・帯方郡・楽浪郡・玄菟〈ゲント〉郡を制圧させ、ここに「遼隧の戦役」は終結したのであった…
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