別れ

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私は父を知りません。 物心がつくより早く、父は戦場に倒れていたのです。まずは、私が青春時代を過ごした頃の時代背景をざっとお話ししたいと思います。 私が生まれる八年前、教皇の世俗化に対して、ある司教が反論しました。 その司教はすぐに破門されたのですが、司教と思い同じくする侯爵が、彼を保護しました。 教皇と繋がる諸候達の代表、名前だけの皇帝は司教を支持する諸候達を次々と破門に処しました。 それに反抗して始まったのが、つい十年程前まで続いていた五十年に及ぶ戦争です。 しかし、宗教が関わっていたのは、私が十二の年まででした。 皇帝が亡くなり、王位を巡る貴族間の争いが宗派間の争いにあい混ざり、世界は混沌とした戦争に突入しました。 ギーズ公が参戦なされたのもその頃のことです。 オグル、という男の話をしましょう。 私が三つの時から、十歳になるまで世話になった、老騎士です。 オグルは、いわゆる抵抗派でした。 しかし、サラディニアは正統派を信望していたのです。 していた、と書いたのは、諸候間での争いの結果が見え始めた頃、抵抗派に改宗したからです。 オグルは、私の父代わりでした。 母もオグルを頼りにしていました。 父の古くからの知り合いで、父を慕っていました。 口癖は「あなたの父上は素晴らしい騎士でした」で、いつも「あなにもその才能は受け継がれているようだ」と私が剣を初めて抜いた日も、白い馬に初めて跨がった日も、生まれて最初に書く文字にオグルの名前を選んだ時も、嬉しそうにそう言っていました。 聞いた話によりますと、オグルは元々は食いぶちの無い身分だったようです。 父の馬を盗もうとして使用人と取っ組み合いをしている彼を見て、父は見込みありと思ったのでしょう。 オグルを護衛として取り立てると、非公式ではありますが、彼に騎士の称号を与えました。 私は遅い子供でした。 そもそも父の結婚が遅く、母は父よりも十も若かったのです。 オグルにすれば母は出来の良い娘です。 私はその愛娘の息子、つまりかわいくて仕方のない孫にあたります。 オグルは、私が十三の時に亡くなりました。 私が十の時から病を抱えていたようです。 その頃の口癖は「若い時に無茶はし過ぎるものではありませんよ」でした。 一方で「今しか出来ない無茶をしなさい」とも言っていました。 オグルとの思い出は書切れない程です。
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