序.放課後

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   坂野千鶴子はすこぶる機嫌が悪かった。教室の窓を軽く睨む。外は仄暗く、部活動に勤しむ生徒の喧噪も微かだ。もう時計は七時を回っている。いや、むしろ八時に近い。   「ねえ、千鶴子」  名前を呼ばれて、千鶴子は母の方へ不機嫌極まりない表情を向けた。何故母が教室にいるのか。それは今日が三者面談の日だからだ。教室で待機しておくように言われて、もう一時間以上も経っている。 「面談はまだなのかしら。前の人、随分長いのねぇ」 疲れた溜め息をつく母の隣では、弟の健太が妙ちきりんなデザインの人形を興味深げに弄んでいた。何故弟までいるのか。それは仕事が長引いた母が、弟を保育所へ迎えに行ったその足で学校に来たからだ。    すべてが千鶴子の気に障った。  三者面談も。その憂鬱だろう内容も。母が仕事を休めなかったせいでこんな遅くに時間を取られたことも。面談の開始時間が予定よりも大幅に遅れていることも。それによって見たいテレビに間に合わないかもしれないことも。気怠い母の態度も。鼻歌まで歌っている呑気な健太の顔すらも。すべてが。    パタパタとスリッパが廊下を叩く音が聞こえ、次いで教室のドアが慌ただしく開けられた。目を向けた先には担任の姿があった。 「すいません坂野さん、大変お待たせしてしまいました」  音が立つ勢いで母に対して頭を下げると、彼はドアをくぐった。手には千鶴子の成績表だろうか、資料のようなものを持っている。 「……面談って進路指導室でやるんじゃなかったんですか」 「もう他に誰もいないんだし、今から移動してもらうのもなんだし、別にいいじゃないか」 そう言って鷹揚に微笑む担任の顔も、千鶴子の苛々を助長させるだけだった。
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