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 結局一睡も出来ないまゝ、ニッケルは登校の準備を始めた。夏期休暇中ではあるが、合間々々に登校日がある。計算練習や、綴り練習帖の進み具合を教師が確認し、休暇中の生活についての注意を聞かされる、生徒たちにとっては迷惑極まりない行事である。例年、家族旅行等で登校してこない生徒も多かった。  ニッケルは食卓テーブルの上に用意されていた、三日月麺麭のサンドヰッチを頬張った。祖父は既に仕事に出ている。町外れの山で樹木を相手にする彼の朝は、誰よりも早い。ニッケルはふと、シンクの中に祖父の食器しか残っていないことに気が付いた。プラチナは大抵、ニッケルよりも早く起き出し、身なりを整えている。当然、食事をするのも早い。毎朝慌しくしているニッケルを尻目に、悠々と家を出る。  ニッケルはまさか、と思いながらも兄の部屋のドアをノックした。返事はない。扉を開けてみたが、姿もなかった。家に帰った形跡がない。通学鞄も、制服もなかった。兄は几帳面な性格だ。部屋の中の決められた位置に、自分の物を置く。そこにないということは、兄が身に着けていたり、持ち歩いていたりすることを意味する。  昨夜は理科教室にいたが、それから帰っていないのだ。こゝのところ、プラチナの外泊が目立って多くなった。祖父には理由と居所を伝えているのかもしれないが、ニッケルは何も聞かされていなかった。そのことが、何とはなしに不愉快だった。  ニッケルは氣分をそこねたまゝ、家を出た。乾いた陽氣の降り注ぐ朝だ。ついひと月まえまでは、毎日湿った空気が雨雲を連れてきていたのが、遠い季節のことのように思える。清澄な碧空が、ニッケルの心を少し慰めた。  ニッケルはほんの数メートルだけ寄り道をして、裏の家をのぞいてみた。庭は元は綺麗に整備されていたのだろうが、今となっては好き勝手にすずめのてっぽうや車前草(おおばこ)、蒲公英などの野草の類が蔓延っている。満天星もてんでに枝を伸ばし、我が物顔をしており、庭は廃園の様相を呈していた。ニッケルの家の素馨が白い花をいくら散らしても、嫌な顔をする人はいない。庭の中ほどまで、白い絨緞が地面を覆っていた。家の方も、窓掛けで中の様子を伺い知ることは出来ない。見慣れた、普段と何ら変わらない空き家の姿だ。
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