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睛を覚ましたとき、ニッケルはそこが寝台でなかったことに驚いた。辺りを見回すが、覚えのない場所である。丸い天蓋に覆われた天幕(テント)の中のようだった。大きな天幕だ。ニッケルはその空間の端にいたが、もう一方の端に行くのに、軽く百歩は必要だろう。中には折りたゝみの木製椅子が整然と並び、正面には大きな真白い布が吊るされていた。椅子の列は真ん中辺りで一度途切れ、博物館から盗み出してきたかのような旧式の映写機が据えられている。幻燈を行うのだろうか。観客席には誰もおらず、スクリヰンには何も映し出されてはいない。これから始まるのか、既に終わってしまった後なのか、或いは休憩時間なのかも分からなかった。
ニッケルは天幕の出口へ向かって歩いていった。布同士が接ぎ合わされている隙間から、黄金(きん)色の光が漏れてきている。夕刻なのだろうか、それとも白熱燈の光だろうか。天幕の中は相変わらず静まり返り、外にも誰かのいる気配はない。眠る前に聞いたりろりろという音だけが、途切れなく続いている。ニッケルが出入り口の布をくゞると、そこは學校の理科室だった。ぽつぽつと丸い乳白色の硝子球をかぶった電球が燈され、部屋の中に短い影を投げかけている。慣れ親しんだ薬品の匂いがしている。
ニッケルはいつも授業を受けている自分の座席に座った。教室を見回すが、つい先刻自分が出てきた筈の天幕が見当たらない。首をかしげて何とはなしに机の中に手を入れてみると、かさかさに乾いた紙が触れた。黍色に変色した藁半紙に、黒い洋墨(インク)が滲んでいる。ガリ版で刷られた授業資料らしい。「狐火」の文字が見える。大方、樟脳の燃えるときの青白い炎について書かれているのだろう。ニッケルはそれ以上見る気を失くし、資料を元の場所に戻した。
突然理科室の扉が開いた。學校の教室の戸は大抵引き違い戸なのだが、こゝと図書室だけは、把手を回して開ける仕様になっている。その為、静かに開閉すれば、音はほとんどしない。ニッケルもはじめは扉が開いたことに氣が付かなかった。視界の隅に、平行四辺形の光が落ちてきたことで、そうと知ったのである。
「なんだ、まだいたのか。」
扉を開けて入ってきたのは、兄のプラチナだった。プラチナはそれ以上ニッケルに関心を示さず、実験器具が整然と並んだ木製の硝子戸棚を開けた。つるんとした白い陶器の乳鉢と乳棒、顕微鏡などを取り出す。
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