大東亜戦争前史~周辺諸国編~

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余談はさておき『中華思想』に基づく傲慢な態度で欧米諸国と外交をしたのだから、かなり機嫌を損ねた。 特にイギリスとの貿易では、茶や陶磁器や絹を輸出していたが『売ってやる』『清は銀以外での支払いは認めない。嫌なら買うな』式の商売であった。 輸入については『支那には優れた文化も資産も全てあるから、輸入する物など無い』という考えである。 イギリスはティータイムの国である。 これでは銀が大量に清に流出するだけでイギリスには利益が無い。 頭にきたイギリスはアヘンを支那に密輸し、利益を得たのである。 傲慢な態度でワガママ貿易する国と麻薬を密輸する国、どっちもどっちであるが、これが理由で国同士の喧嘩『戦争』が始まった。 これが1840年のアヘン戦争である。 結果は、いくら大国でもいくらプライドが高くても、近代化した軍事力の前に疲弊した封建制度の国が勝てる訳も無く、圧倒的な差でイギリスが勝利した。 これを期に、再度イギリスと1856年にアロー戦争、1884年はベトナム植民地化を狙うフランスと清仏戦争、1894年には朝鮮の独立問題から我が国と日清戦争を起こすがことごとく敗れたのである。 また戦争の賠償として、香港はイギリスに、マカオはポルトガルに、台湾は日本にと割譲された。 なお、ベトナムはフランス植民地となった。 その証拠に、ごく近年の1997年まで香港はイギリス領、1999年までマカオはポルトガル領であった事は、読者諸賢の記憶に新しいと思う。 更に清国内でも1851年に太平天国の乱、1899年には義和団事件などの内乱が発生した。 そして、最後に悪女として名高い西太后が、わずか3歳の息子溥儀(フギ)を皇帝として実権を握ろうとするが、1911年に辛亥革命が起こり溥儀は退位をして、清王朝は滅亡するのである。 映画『ラストエンペラー』をご覧になった読者はよくご存知であろう。 このラストエンペラーの溥儀は退位後しばらく紫禁城にて元皇帝らしく生活できたが、後に紫禁城を追われ日本に保護を求めた。 その後1932年、支那北部に日本の支援のもとに満州国を作り、初代皇帝に即位したのである。   ※写真は、ラストエンペラーこと溥儀(満州国皇帝時代)image=185896144.jpg
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