傘が無い

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目の前に猫が居る。 自由気ままな態度。 撫でてやろうと近寄ると逃げ、立ち去ろうとすると縋るように追ってくる。 実に面倒臭い。 たまに何の前触れも無しに『な~ぉ』とか啼かれると寒気がする。 更に、人間様の足を毛繕いの道具にしてスリスリされたりなんかすると、もう鳥肌が鬼のように立つ。 だから嫌いだ。 だから嫌いになった。 だから嫌いになろうと思った。 その猫が人間に姿を変えていった。 昨日のスナックで出会った、源氏名キョウコに。 本名、ジュンコに。 5年付き合った元カノに。 『あら。いらっしゃい。』 そう鳴いた猫。 会社の飲み会。いつもは一次会で退散するのだが、タイミングを逸した俺は二次会へと引きずられた。 初めて行くスナック。 名前は忘れた。 ただ、そこには嫌いになった猫が居た。 確かに嫌いになった筈だった。 『覚えてるか?』 そんな台詞が呼吸と共にこぼれてしまわないかと、ぐっと息を殺した。 『なぁに、そんなに見つめて。緊張してるのかな?』 おどけるように、その猫は鳴いた。 違う。 こんな猫は知らない。 知っているのは嫌いになった猫。 水割りを続けざまに呑みほして、言われるがままカラオケを歌った。 今の流行は知らない。 知っているのは猫に聴かせた歌。 『この曲、良いよね。』 歌い終わった後で、そう猫が鳴いた。 どこかで聞いた鳴き声で。 嫌いになった筈の猫を・・・嫌いになれない自分が堪らなく嫌になった。 俺は猫が嫌いなんじゃない。 自分が嫌いなんだ。 『もう・・・来ないで。』 最後にそう鳴いた。 姿をまた猫に戻すとスタスタと立ち去って行った。 猫なのに一度も振り返らずに。
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