6月

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「あっちゃん!!」  工房に入るなり突進してきたのは今年3歳になる姉の子供、優人(ゆうと)だ。 「ただいま、優人。」 「おかえりっ」  優人は茶目っ気たっぷりに笑いながら明菜の手を引っ張り、奥に連れて行く。 「ああ、あきちゃん、おかえりなさい。お疲れ様ね。」 「うん。あれ、新しいピアノ?」 「うん、早速作業しようかと思ったけどダメね。すぐ開けると湿気にやられちゃうわ。」 「そっか。これからの季節は辛いね」  明菜の姉、香織はピアノ調律師だ。  明菜の家は自宅兼工房も構えている。香織は家事全般をこなしながら、修理やメンテナンスを行う。今日はオーバーホールの為に工房にピアノを受け入れたばかりだった。 「ごはんっ」  優人が香織に抱きつきながら膨れっ面になる。 「はい、優人さん、分かりましたよ~。今日は餃子作るって約束でしたね」 「手伝うよ」 「ありがとう。助かるわ。」  明菜の両親は彼女がまだ11歳の頃にこの世を去った。香織は22歳で大学を卒業したばかりだった。  海外出張の為、父親が日本を出てしばらくしてから、母親が旅行がてら追いかけ、二人で束の間の休息で列車の旅をしている時に不運にも脱線事故を起こし、還らぬ人となった。出張先はブラジル。香織は行ったことがない国ではあったが、知らせを受けるや否やパスポートと必要なものだけをかき集め、幼い妹の手を引き飛行機に飛び乗った。  明菜は状況が読めなかったが、姉の様子を見てただならぬことが起きたということは理解出来た。  長い時間をかけ病院に搬送されている両親の元に駆けつけた時には既に息はなく、暗い一室で白いシートがかけられ、二人は冷たい床の上に横たわらされていた。腹辺りに泥だらけのパスポートが置いてあり、顔を見るまでもなく両親を認めざるを得なかった。  それからのことを明菜は良く憶えていない。ただ香織が激しく泣いている後ろ姿をただ見ていたことしか記憶になかった。  ――あれから6年。  叔父や叔母の助けも得ながら香織は一生懸命に明菜を育ててきた。  まだ小学生だった明菜がクラスで両親がいないことをからかわれたと聞けば、言いたがらない明菜の口を無理矢理開かせクラスメイトの名を聞き出し、家まで行き親に抗議をした。運動会や授業参観にも必ず行った。周りからなんと見られようとも香織は全身で妹を守ってきた。
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