レーダーの話

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真珠湾攻撃から2ヵ月後の昭和17年2月15日、日本軍はイギリス領シンガポールを陥落させました。 この時、およそ12万人の連合国軍兵士を拘束し、イギリス軍基地から新型の電波兵器と思われる鉄骨と銅線を組み合わせた装置2機を鹵獲しました。 イギリスで、航空機の見張り用レーダー装置(電波深信義=電探)が開発されたという情報を得ていた日本軍は、南方軍兵器技術指導班を呼んで、装置の分析を開始しました。 しかし・・・装置の目的や使い方など、全くもって理解できませんでした。 しばらくして、基地のごみ焼却炉の燃えカスから1冊のノートが発見されました。表紙には「Seach Light Control Theory(サーチライト・コントロール理論)」とタイトルがあり、下に持ち主の名前らしき「Newman(ニューマン)」のサインがありました。 そのノートには、敵の飛行機を捕らえるレーダー(電探)の構造や、レーダーで捕らえた敵機をいち早くサーチライトの光条を合わせるための操作手順が書かれていたのでした。
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