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白虎士中二番隊に出撃命令が下ったのは、八月二十二日のことである。
険しい母成峠を越え、若松に至る十六橋を渡ることに成功した西軍(新政府軍)に追い込まれた会津軍は、藩主の警護につけていた白虎士中二番隊にも、ついに出撃を命じた。
十六、七歳の少年達で編制された白虎隊は、父兄の身分によって士中(上士)・寄合(中士)・足軽(下士)の三つに分かれていた。銃の配分が足りなかった為、足軽隊が隊として行動することはなかったが、中級武士の子弟から成る寄合白虎の一番隊と二番隊は、士中隊に先駆けて既に戦地に出ていた。
白虎士中二番隊が向かった戸ノ口原は、武士以外の身分の人々による敢死隊が守っていた。急な出陣だった為に夕食の用意がなかった白虎隊の少年達は、敢死隊の人々から握り飯を分けてもらい、飢えをしのいだ。
旧暦の八月二十二日は、新暦の十月七日にあたる。降り始めていた雨は更に強くなり、砲声の聞こえる中で濡れねずみになりながら、秋の夜の寒さに震え、空腹を堪え、少年達は不安な初陣の夜を過ごした。しかも、敢死隊に用があって単身出掛けて行った中隊長の日向内記が道に迷ったのか、或いは予測せぬ出来事に見舞われたのか、いつまで待っても戻って来ず、とうとう夜が明けてしまったのである。
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