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「ねぇ、勘違いじゃなくて?」
「あら、どうして」
ほんの少しだけ、真紀子が表情を曇らせた。
もそれ以上問い詰めることもできずにその場は流れてしまった。
翌日真理子は少し早めにサークル棟へ顔を出した。
熱心な空手部員である醍醐が誰より先に道場へ行っていることを知っていたからだ。
「こんにちは」
「お、早いな」
「醍醐君こそ」
気安い会話の端々から、醍醐という人間の魅力を探る。
(顔は、悪くないわ。背だって高いし、頭もいいと思う)
条件だけ誂えていけば、十分に恋愛対象になりうる、という結論に至ったところで真紀子が顔を出した。追試に引っ掛かって、遅れていたのだ。
うきうきと醍醐に話しかける真紀子に、真理子はなぜか震える手をそっと隠して二人の会話に加わった。
そんなことが…しばらく、一か月ほど、続いたのだと思う。
サークル内で、まことしやかにささやかれている噂がようやく真理子の耳に入ってきた。
『醍醐と、真理子は付き合っている』
という、ありがちで無責任な噂だ。
無論付き合ってなどいなかった。しかし、真理子は醍醐の態度に以前とは違う焦燥に似た感覚を覚えることが多くなった。
あまりよくないことになった、とは思った。
「付き合ってほしい」と、とうとう醍醐に言われたときも、真っ先に思ったのは真紀子のことだった。
(真紀子が醍醐君を好きなら)
真理子は震える手で醍醐に向かい合った。
(私だって好きなはずだわ、双子だもの)
その脅迫めいた感情は恋とは呼べなかったかもしれない。しかし、真理子は承諾してしまったのだ。
手の震えをおさめるために、得体のしれない恐怖から逃れるために。
「…言ってくれればいいのに」
真紀子は、真理子を責めなかった。
ただ、ぐっとこらえる表情で下を向いて呟いた。
「…じゃあ、醍醐君と付き合えば?ばれないと思うけど」
ぼそり、真理子の口からこぼれた言葉に、真紀子は目を丸くした。真理子も、口を押さえて床を見た。そこに転がる言葉が信じられないというように。
恋なら、口が裂けてもそんなことは言えないはずだと、一般論から鑑みて自覚したからだ。恋をしていない自分に呆然とした。
真紀子はきっと真理子を見据え、何も言わずに自分の部屋へ戻って行った。
「…その日から、真紀子は私を避けるようになりました」
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