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佐藤真理子は、帰り道を急いでいた。
きっとこの平凡なト書きは、真理子の周辺にいる無数のサラリーマンや学生たちの多くにあてはまるだろう。
自分と同じヒトがいる、そう思うだけで真理子は落ち着ける気がした。ほんの少し、ほんの少しだけ。
だが、電車に乗った時はあふれるほどたくさんいた人も、ひと駅ごとに降りていく。『家路につくため今この電車に乗っているヒト』、すなわち自分と同じ人がどんどん減っていくことに、やはり真理子は不安と苛立ちで寒くもないのに震える手をこすり合わせた。
最寄り駅に降り立つと、改札に向かう人は10人程度、そこから先は1人。
震えの激しくなる手をなんとか握り締めて真理子は歩く。商店街にはもう明かりがともっていない。申し訳程度にシャッターの下から明かりがもれている。
そんな…暗がりの中で
ひときわ明るいオレンジに、真理子は目を見張った。
レトロなガラスのモザイクが窓枠いっぱいに張ってあって、中から洩れる光を柔らかく彩っている。
(こんなお店、あったかしら)
それもこんな深夜まで明るいなんて。
真理子は誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のようにふらふらと店に近づいて、ふと足を止めた。
『深夜までやっている知らない店に入るヒト』は、きっと自分の他にいないだろうと思ったからだ。震えが大きくなる。
(でも、一人もいないはずはないわ)
そう思うと、そのドアを開けようという気持ちになった。このまま家に帰宅するよりずっといい考えに思えたからだ。
ドアを開くと、ガレに似た美しい細工のランプが店の中を照らしていた。
(雑貨屋さん…?骨董品屋かしら…?)
店の中は雑多なものであふれていて、触れるのもためらわれるような大理石の像だとか、みすぼらしいぬいぐるみだとかがもっともらしく並べられている。
「いらっしゃいませ」
色鮮やかなオウムの剥製の隣、バリ島あたりで売っていそうな怪しげなお面の向こうから声がした。
「!!」
おそるおそる真理子は店の奥を覗き込む。
年代物だろう、アンティークビーズのショーケースの向こうに、一人の男が座っていた。真理子を見つけると、にこりと目を合わせてほほ笑む。
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