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「いえいえ、そう警戒なさらず。こんな夜中に、女性が一人で、見知らぬ店に入ってくるものですから。何か、そういう事情でもあるのではないかと思いましてね。それに、ここへ預けるようなものですと、肌身離さずお持ちになっている方がほとんどで」
実際そんなお客様が多いのですよ、そう言って笑う。
そんなものか、真理子は知らず止めていた息を吐いた。
その他大勢の客が、自分と同じようにふらりとこの店のオレンジ色に惹かれてこの店主と話をしたと思うと、少し震えが治まった。
「…このお店は、何でも預かってくださるの?」
「ええ。もちろん。理由如何では、車のタイヤでも壊れた家電でも…死体だってお預かりしますよ」
それは店主一流の冗句だったかもしれないが、真理子はあえてそれに突っ込もうとは思わなかった。店の奥の暗がりが、闇を増したような錯覚を覚えたからだ。
「理由如何では?」
「ええ、理由如何では。なにしろ、店のスペースにも限りがありますからね。そうそう軽い思い出をお預かりするわけにはまいりません。一生に一つという思い出でないと」
舌なめずりしそうな勢いで鞄を見つめる店主に、真理子はぐっと手に力を込めた。
「お値段は、どれくらいかかるのかしら…ひとつ、その、手帳程度のものを、預けるのに」
「値段?金なんかとりません、言ったでしょう。私は貸倉庫屋じゃありませんからね。はっきり言ってしまうと、道楽なんです」
手を広げて断言してしまった店主に、真理子は三度逡巡して、丈夫な革のバッグから一冊の手帳を取り出した。鍵のついた分厚いそれを机の上に置く。
まだ手は少し震えていたが、なんとかカップを持てる程度には治まったので、ようやく紅茶を口にする。ぬくもりが心地よい。
「それじゃあ」
店主は深くソファに腰かけて、小首をかしげた。
「教えていただけますか、この手帳がいかに大切な思い出か。この店に預けるだけの価値があるかどうか」
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