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夜明けには少し遠い、肌寒い時間。
彼誰時は、妖しくまた美しい。
特に、春から夏へと移り変わる、この時季が。
時間の流れに摂理を与えているのは、大地を守る精霊たち。
月と闇の精霊が眠るまで、今しばらく彼誰時は続く。
風も、今はまだこの星の夢の中で微睡んでいる。
凪いだ世界は痛いほどの静寂を孕んで、冷たい空気を隠そうともしない。
不意に、ギャンッ、と何かが啼いた。
断末魔にも似た生々しい<声>が空気を震わせ、林の木々に短くこだまして消えた。
悪寒に身を竦めるようにざわわと木立が揺れ、梢に残っていた昨日の雨を、根元を覆う笹の葉に落とす。
パラパラという軽い音は、木々の幹に吸い込まれ、幻に変わる。
──それは、一瞬の出来事だった。
ほんの瞬きほどの時間、風が、渦を巻いた。
ただ、それだけ。
ただ──目には見えない、黒く重たい空気で淀む場所があったという、それだけ。
それ、だけ。
世界は、いつもと変わらない朝を迎えようとしていた。
白み始めた空は、ほんのりと藤色を含みつつ広がり。
凪の世界から解放された風は、かすかな花の香りを連れて大地を渡る。
それは、夜明けを告げるもの。
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