0・予感

2/3
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/175ページ
夜明けには少し遠い、肌寒い時間。 彼誰時は、妖しくまた美しい。 特に、春から夏へと移り変わる、この時季が。 時間の流れに摂理を与えているのは、大地を守る精霊たち。 月と闇の精霊が眠るまで、今しばらく彼誰時は続く。 風も、今はまだこの星の夢の中で微睡んでいる。 凪いだ世界は痛いほどの静寂を孕んで、冷たい空気を隠そうともしない。 不意に、ギャンッ、と何かが啼いた。 断末魔にも似た生々しい<声>が空気を震わせ、林の木々に短くこだまして消えた。 悪寒に身を竦めるようにざわわと木立が揺れ、梢に残っていた昨日の雨を、根元を覆う笹の葉に落とす。 パラパラという軽い音は、木々の幹に吸い込まれ、幻に変わる。 ──それは、一瞬の出来事だった。 ほんの瞬きほどの時間、風が、渦を巻いた。 ただ、それだけ。 ただ──目には見えない、黒く重たい空気で淀む場所があったという、それだけ。 それ、だけ。 世界は、いつもと変わらない朝を迎えようとしていた。 白み始めた空は、ほんのりと藤色を含みつつ広がり。 凪の世界から解放された風は、かすかな花の香りを連れて大地を渡る。 それは、夜明けを告げるもの。
/175ページ

最初のコメントを投稿しよう!