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イギリス軍はエルアラメイン前面から南へ向けて堅固なボックス陣地を構築して、DAKの侵攻に備えた。
そこでドイツ軍は、第15・第21装甲師団を南から長駆迂回して攻撃することを計画し、1942(昭和17)年8月31日に攻撃を開始する。
だがイギリス第7機甲師団の前衛の突破に手間取ったため、当初の案を破棄し、第15装甲師団をさらに迂回させ、アラム・ハルファ高地のイギリス軍陣地の攻撃を計画した。
しかし、第15装甲師団の攻撃はイギリス第22戦車旅団によって阻止されてしまう。
イギリス軍は枢軸軍の300輌にたいして、新たに投入されたM4中戦車300輌などの各種戦車1000輌を投入した。
10月24日に攻勢を開始した、
なお勝利を確実にするため、攻撃地点と開始時刻を秘匿する大規模なカムフラージュ作戦も行われていた。
そしてドイツ軍は、間の悪い事にロンメルが持病のために帰国中に奇襲されてしまう。 DAKは奮戦したものの「悪魔の園」と呼ばれた地雷原と防御陣地を突破され、11月4日に退却を開始することとなる。
M4シャーマンとⅤ号ティガー
北アフリカに送り込まれたティガーは、第501重戦車大隊の20輌と、第504重戦車大隊第1中隊の11輌の計31輌である。
第501重戦車大隊は1942年12月1日にビゼルタで初めて連合軍戦車と交戦し、1943年1月のアイルボーテ(飛脚)作戦や2月に実施されたフリューグスブイント(春風)作戦などに参加した。
特に春風作戦中の2月14日にはカセリーヌ峠付近で、アメリカ第1機甲師団のシャーマン戦車20輌を撃破している。
その後3月から4月にかけて第504重戦車大隊が到着し、マクナシー峠などで米英軍と激戦を繰り広げた。
両大隊は降伏までに、300輌以上の連合軍戦車を撃破している。
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