チュニジアの戦い

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ドイツ軍がエルアラメインで敗北した4日後の1942(昭和17)年11月8日に連合軍はビィシー・フランス政権下のモロッコとアルジェリアに上陸するトーチ作戦を敢行した。 枢軸国側はチュニジアに第10装甲師団などの多くの部隊を送り、合流しようとする東西の連合国軍を撃破することを試みた。 そして12月からの約1ヶ月でアメリカ軍の180輌の戦車を含む装甲車輌500輌程と、ほぼ同数のトラックなどを撃破した。 だが3月3日に、連合軍の攻撃で枢軸軍の防衛線マレト・ラインが破られ、枢軸軍は後退を余儀なくされた。 しかしその後もドイツ軍の巧みな防御戦術と険しい地形のために連合軍の進撃は滞ってしまう。 そこで連合軍は、シチリアからチュニジアへの枢軸軍の補給線を大量の航空戦力で攻撃し、枢軸軍に多大な損害を与えることに成功した。 このためドイツ軍は戦闘継続が不可能と判断し、5月に北アフリカからの撤退を決定した。 しかしこれを知った連合軍がチュニジアの港を占領したため、5月12日北アフリカの枢軸軍は降伏した。 画像は、M3グラント中戦車です。image=189955855.jpg
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